列強の接近
2003年12月6日1778年(田沼意次) ロシア戦が蝦夷の厚岸に来航。松前氏に通商を要求し拒否られる
1783年 工藤平助が「赤蝦夷風説考」
1784年 田沼蝦夷地開拓計画
1786年 最上得内が千島探検しうるっぷ島に
1792年(松平定信) ロシア使節のラクスマンが漂流民大黒屋光太夫を連れて根室に来航(エカチェリーナ2世の命による)
1792年 林子平『三国通覧図説』『海国兵談』 老中の松平定信、海防強化を命ず
1798年 近藤重蔵・最上得内が択捉島を探査
1799年 東蝦夷地を幕領とする
1800年 伊能忠敬が蝦夷地を測量『大日本沿海輿地全図』
1804年(11代家斉) ロシアのレザノフが長崎に来航し通商を要求(アレクサンダー1世の命による)
1806年 文化の薪水給与令
1807年 松前と蝦夷地すべてを幕領として松前奉行の支配下に。近藤重蔵が西蝦夷地を探査
1808年 間宮林蔵に樺太を探査
1809年 間宮林蔵が間宮海峡を発見(名付け親はシーボルト)
1811年 ゴローウニン事件(国後島で捕まえる)
1813年 ゴローウニンを高田屋嘉兵衛と交換
1818年 イギリス人ゴードンが浦賀に来航
1821年 蝦夷地を松前藩に返還
1824年 英の捕鯨船員が常陸大津浜・薩摩宝島に上陸
1825年 異国船打払令を発令
1828年 シーボルト事件
1837年(水野忠邦) モリソン号事件→打払い令により撃退される
1839年 蛮社の獄→尚歯会の渡辺崋山・高野長英らを処罰
1840〜42年 アヘン戦争→清は敗北し南京条約を締結
1842年 異国船打払令の緩和→天保の薪水給与令
1844年 蘭国王ウィレム2世の開国勧告
1846年 米使節ビッドル(米東インド艦隊司令長官)が浦賀に来航
1853年 ペリーが13代米大統領フィルモアの国書を持ち浦賀に来航
1783年 工藤平助が「赤蝦夷風説考」
1784年 田沼蝦夷地開拓計画
1786年 最上得内が千島探検しうるっぷ島に
1792年(松平定信) ロシア使節のラクスマンが漂流民大黒屋光太夫を連れて根室に来航(エカチェリーナ2世の命による)
1792年 林子平『三国通覧図説』『海国兵談』 老中の松平定信、海防強化を命ず
1798年 近藤重蔵・最上得内が択捉島を探査
1799年 東蝦夷地を幕領とする
1800年 伊能忠敬が蝦夷地を測量『大日本沿海輿地全図』
1804年(11代家斉) ロシアのレザノフが長崎に来航し通商を要求(アレクサンダー1世の命による)
1806年 文化の薪水給与令
1807年 松前と蝦夷地すべてを幕領として松前奉行の支配下に。近藤重蔵が西蝦夷地を探査
1808年 間宮林蔵に樺太を探査
1809年 間宮林蔵が間宮海峡を発見(名付け親はシーボルト)
1811年 ゴローウニン事件(国後島で捕まえる)
1813年 ゴローウニンを高田屋嘉兵衛と交換
1818年 イギリス人ゴードンが浦賀に来航
1821年 蝦夷地を松前藩に返還
1824年 英の捕鯨船員が常陸大津浜・薩摩宝島に上陸
1825年 異国船打払令を発令
1828年 シーボルト事件
1837年(水野忠邦) モリソン号事件→打払い令により撃退される
1839年 蛮社の獄→尚歯会の渡辺崋山・高野長英らを処罰
1840〜42年 アヘン戦争→清は敗北し南京条約を締結
1842年 異国船打払令の緩和→天保の薪水給与令
1844年 蘭国王ウィレム2世の開国勧告
1846年 米使節ビッドル(米東インド艦隊司令長官)が浦賀に来航
1853年 ペリーが13代米大統領フィルモアの国書を持ち浦賀に来航
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